私は昔こんな人間だったろうか。
答はノーである。

もっと優しかったしもっと素直だったしもっと勇気があったし
もっと強かったし人の話も聞けたし我慢だってできたし人を疑ったりしなかった。
それに良い意味で喜怒哀楽を人にぶつけていた。
悲しい時には泣いていたし寂しい時には電話をした。
どうしようもない時は怒って
不満をこういう風に文字ではなくきちんと言葉で相手に伝えていた。

しかし今はどうだろう。
すっかり縮こまってしまっている。
何もかも閉じている。
思えば中1の5月に崩壊し始めたのだ。
それは生き抜くために仕方がなかったと言えば仕方がなかった。
自分を殺すしかなかったんだ。だからってそうさせた相手を恨んではいない。
理不尽であった、とは思うが。
私も悪かったのだろう。ただ、やはりしこりが残る。
現にこうして今も完全に忘れる事が出来ていないのだから。

今。どうしてこんなにも保守的で弱々しいのだろうか。
そしてどうしてこんなに残酷で汚いのだろう。

世の中の仕組みを知り過ぎてしまったのが怖いというのもある。
逆に経験不足で恥ずかしくて動けないというのもある。
どんなに取り繕っても化けの皮はすぐ剥がれてしまう。
それなのに何枚もの薄皮を被るのだ。

経験も体験も生産もなく毎日を過ごす、ただただ過ごす。
職業すら名乗れないこんな人生に何の意味もないのに何故かそれが許されている。
疑問はそこである。
何故許されているのか。
神様が生かしてくださっているとか生きてるだけでいいんだとかいう台詞はここでは置いておく。
本当に不思議すぎてならない。本来なら締め出されたって当然の身なのに。
以前ここに書いた事があるけれど、やはりもう何も求められていないのだろうか。
要求されないというのは楽ではあるが同時にかなしいと思う。

繰り返すけれどこの残酷さや心の汚さには我ながら驚く。
自分自身に対してだったら何を思おうともどれだけ汚い言葉を投げようとも、却ってそれらが安定剤のような役割を果たす場合もあり何も問題はないのだが非の無い誰かに怒りや嫉妬をぶつけたくなる時がありそんな自分に落胆する。それが大切な誰かだったりして、そういう感情を抱いてしまうのが許せない。

優しさや勇気や僅かにでも存在していた行動力を取り戻したい。
好きなものは好きだと自信を持って言いたい。
人目を気にせずに、向上できたら。

コメント

kaj
2010年10月15日7:11

井の中の蛙、大海を知らず。
されど、
宙の深さを知る。

まぁ、私の場合は此方側でも何度も「損なってる」だけなんですけどね。
縁あって、新しい黒い仔猫と暮らす事になりました。
私のリアルは、こいつの飯代のためで十二分な理由です♪

手乗り鳩
2010年10月20日3:44

いやもうお恥ずかしい。その通りです井の中の蛙です。。
されど、の後の台詞は、空の青さを知る。などもあるとか何とかで。
これらを付け足した人は慰めで付けてくれたのかなぁと思ったり。

ん、損なうとは?はて。
猫ー!!黒猫さんは凛としていて格好いいですね。
いいないいな。
私も、犬がいるから生きてます♪

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